その日、パドックを見て、ものすごく嫌な気配がした。
彼自身の調子は絶好調のようだった。
馬体のハリ、気分のノリともに充実し、まさに絶頂期にある馬の放つ輝きに満ちていた。
生涯を通して、彼には悪い雰囲気は似合わなかった。
しかし、その時だけは、これから何か悪いことが起きる、そんな薄い膜のようなものが
彼にまとわりついているように見えた。
いつものようにマイペースで飛ばしていった
彼を待ち受けていたのは魔の3コーナーでの骨折。
もがく姿が映し出され、誰もが声を失った瞬間。
彼のスピードは新馬の時から抜けていた。
しかし、2戦目で選んだ弥生賞で、スタート前にゲートをくぐり、
落ち着く間もなく仕切り直し、レースは開始される。
残念ながら、皐月賞の切符はとれなかったが、
次のダービートライアルで出走権を手にすることができた。
将来を見据えてであろうが、まだ、周囲の関係者が抑えた競馬を覚えさせようとしていた時期である。
馬の気分のまま逃げればなぁ・・・と思っていた。
案の定、ダービーではそういった逃げ、という選択はされなかった。
終始折り合わず。
その後、能力をもてあまし気味だった、この天才馬は、天才騎手によって、
その才能を全開することを許された。
エアグルーヴを宝塚記念で破り、
その後、JCを優勝し、次の年に日本調教馬としては
最高位の凱旋門賞2着という結果を残すエルコンドルパサーを、
毎日王冠で突き放し、
これからというところだったのだ。
えてして、こういう状態においては、悲劇は生まれやすい。
記憶に残りやすいといったほうが、関係者に対してフェアか。
どこまでそのスピードが通用したのかは、
残念ながら、もう誰にも分からない。

